冬休み前に入ったと思ったら、すぐに校内の工事が始まりました。
先週の土曜日から教室によっては始まっていました。
教室の古くなったロッカーの改修工事をすると同時に大きくする工事です。
昨日もみんなの下校後、3年生の教室からはものすごい大きな音が聞こえてきました。
教室の後ろの黒板もこんなふうに取り外されてしまいました。
この後、下のロッカーも全部取り外されていきました。
取り外された黒板の上にはこんなメモ書きが残っていました。
このメモ書きはどうも気になる内容です。
これを発見したオタスケマンの先生からは、石ヶ瀬小学校の秘密を
教えてもらいました。
これが昨日の工事で取り外された5クラス分の後ろのロッカーです。
トラック1台では全く運ぶことが出来ませんでした。
今日も外にはまだたくさんのロッカーが山積みされています。
そして、先程の背面黒板のメモ書きの話題に戻ります。
オタスケマンの先生が発見したところ、このメモには学校名が書いてありました。
よく見るとその学校名は「江畑(えばた)小学校」と書いてありました。
「江端(えばた)小学校って一体どこ?」という大きな問題がかくれていました。
そこで、オタスケマンの先生は調べました。
さすが社会の先生です。
どうしても石ヶ瀬小学校の歴史が気になったようです。
学校にあった石ヶ瀬小学校10周年の記念誌(きねんし)「いしがせ」を調べました。
その記念誌には石ヶ瀬小学校ができる前の土地の航空写真がのっていました。
昭和49年11月の写真のようです。
どのあたりに石ヶ瀬小学校ができたのかわかりますか。
この記念誌には石ヶ瀬小学校のできたときの秘密がかくされていました。
記念誌にはメモにあった「江畑小学校」についての秘密が書いてありました。
「石ヶ瀬小学校」の名前が決まる前の学校名の1つに「江端小学校」が
ありました。
しかし、この地区には「江端」以外にも「大府町」、「森岡町」、
「長草町」、「吉田町」などの広い地域から子どもたちが集まります。
そのため、この地区の中央を流れる「石ヶ瀬川」から学校名をつけたそうです。
今から45年前のお話です。
その頃は学校の西側から見るとこんな風に校舎が建てられていたようです。
石ヶ瀬小学校も今年で45年目を迎えます。
開校当初から多くの方々に支えられてきました。
その思いを大切にして、これからもみんなですてきな石ヶ瀬小学校に
していきましょう。