3月11日(土)、今日で東日本大震災から12年がたちました。
昨日は学校でも担任の先生から命の大切さについて
お話をしていただきました。
毎年、ご紹介させていただいている釜石市の復興7年後の様子です。
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海岸には、20m近い高さの堤防がたくさん建設されていました。
それは、大きな津波におそわれ、多くの命が津波の犠牲になったからです。
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しかし、この町の人々は海を愛し、この美しい海を見ながら
生きることを決意されていました。
それは、海から受ける恩恵を忘れないからです。
あれだけの津波が来たのに、釜石市内の小中学生の99.8%が助かったのです。その小中学校は、この場所にありました。
しかし、この場所にも津波が押し寄せました。
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その場所から、右側の高い避難所まで逃げていきました。
しかし、先生と中学生の判断で、さらに山の方へ
逃げて走っていったのです。
この右上の奥の方にある道の上の山の方までです。
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左の端から右の端まで必死になって逃げました。
そのおかげでこの鵜住居(うのすまい)地区の子どもたちの命は
助かりました。
この山の奥の方に私たちの給食に出てくる魚のおかずを
作ってくださっている工場があるのです。
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釜石市内を見て回ると、町のいたるところに右側にあるような
青色の看板が目にとまります。
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こちらの市役所にも同じような看板がありました。
駐車場のかなり上の方です。
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この看板に近づいてみるとこの高さまで津波の水がきたことを
示しています。
ものすごい高さの水です。
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そのため、海岸には津波にかかわるたくさんの記念碑などが
あります。
「津波てんでんこ」の記念碑もあり、これまでの津波の経験を
決して忘れないように市民の心に刻まれています。
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そして、建物が津波に飲み込まれた小中学校は、その海を
しっかり見下ろすことのできる高台に作られました。
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私たちの生活を支えてくれている海をいつもながめ、海との付き合い方を
学び、力強く生きる力をみんなで磨いていました。
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釜石市の駅前には、鉄のモニュメントに再び火がともされています。
釜石市民の力強い命の炎のように見えます。
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今朝の中日新聞には、東日本大震災を体験した子どもたちの声が
紹介されていました。
興味のある方は、こちらの語りを聞いてみてください。
「あしたのたね」
(https://www.chunichi.co.jp/feature_pages/podcasts?ref=pickup)